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プラス1

2月29日 4年ぶりのうるう年は雪だった
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ならぬ堪忍

なる堪忍とならぬ堪忍 できる我慢とできない我慢
人生の指針ともなる一冊
山本周五郎の短編
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武士とは

武士とは、男とはどのように生きるべきか そしてそれを支える女の生き方は・・・
生きにくいこの世の中に道しるべともなる一冊
山本周五郎珠玉の短編集
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珍客到来

寒さの極まる2月 畑で作業をしていたら・・・
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甲府城の天守

甲府城に天守が作られたのは秀吉政権下であり、存在したとしても
わずか数年間・・・その存在は確認されたわけではない。
しかも徳川政権下では天守は1度も作られることはなかった。

甲府城天守閣の復元は今の段階では不可能である。
偽物を作って後世に笑われることをしてはならない。
子供たちに説明のできる文化財を永く残していきたい。

こんな人が

甲府城は秀吉の支配下の1595年前後に築城された。その時には
天守も建てられたと考えられる。しかし時代が急変し、1600年には
関ヶ原の戦いが勃発・・・その後の政権交代で、甲府は徳川の領地になる。
そのころに天守が破却された。大坂城に匹敵する東日本最大の天守は
わずか数年の幻の天守になってしまった・・・
しかし徳川政権下で甲府は甲州街道の要の地として大いに発展、
その中心に位置する甲府城。天守は1度も作られなかったものの将軍の
弟が城主を務めるほどの城郭となっている。

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おじさんちょっと勘違い、それとも早とちり
甲府城天守はその存在が明らかになっていない

鉄門の復元

復元工事 屋根に瓦がおかれ、いよいよ瓦ぶき作業が始まる
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足軽

当ブログの筆者 足軽 その足軽のイラストを
描いてくれた人のブログ
やまなしパラダイスカフェ 
http://ameblo.jp/shinjuhime/

髣・スケ雎撰ス「_convert_20110623211353_convert_20110624135048

コレクション

今までに集めたオルゴール


メリーゴーランドのオルゴール
曲は右から キセキ となりのトトロ カノン

コレクション

今年購入したオルゴール
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曲に合わせてメーリーゴーランドがまわり、馬も上下に動く

石工の仕事

石を割るのも石工の仕事
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石工

石垣を積む職人 石工(いしく)
石を適当な大きさに割るもの石工の仕事

石を割ろうとした痕
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地下一階

甲府城天守穴蔵 地下1階のこと
甲府に天守が存在したとすれば5階の大天守だったと考えられる
その5階を支える柱とその重量にかかる負担を軽減して
重心を保つ場所 それがここ穴蔵
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甲府城

甲府城から見る冬の富士
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寒くて

鳩も日向ぼっこ
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復元工事

鉄門復元工事 木工工事が終わり瓦を噴く段階になった
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冬の甲府城

日陰には霜柱 石垣にも霜や残雪が
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冬の甲府城

水飲み場 馬のための水溜の凍っている
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和歌山城

和歌山城の堀
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和歌山

和歌山城天守は天守と櫓を多門塀でつなげる連立式天守
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和歌山

和歌山城天守
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和歌山城

和歌山城天守曲輪
和歌山城は天守がある場所は天守曲輪と呼ばれる。
城の中心である本丸は別の場所にあるが、現在本丸は立ち入り禁止になっている。
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和歌山城天守の玄関


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和歌山城

和歌山城 復元天守
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和歌山

浅野幸長が築城した和歌山城 昭和20年に戦災でそのほとんどが消失
その当時をしのばせる野面積の石垣
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和歌山

徳和時代に積まれた石垣
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浅野時代の石垣
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和歌山

和歌山城岡口門 幸い戦災を免れた現存の門
外側より
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城内より
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浅野幸長が築城した当時は大手門であったが
徳川時代には搦め手(裏口)門に充てられた

和歌山

和歌山でも発見 石垣を石を割った痕
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和歌山

和歌山城
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関ヶ原の後甲府から移った浅野幸長によって作られ
その後徳川頼宣の居城となる城
昭和20年まで現存していたが惜しくも空襲で焼失

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新幹線の車窓から

関ヶ原の付近は大雪
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新幹線の車窓から

静岡側の富士
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旧暦の正月

旧暦の正月(今年は1月25日)の月
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月と金星
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河口湖より一番寒い季節の富士

オルゴール美術館より
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河口湖より

オルゴール美術館の庭から
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河口湖より

オルゴール博物館より
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毎年恒例

一番寒いこの季節、毎年河口湖のオルゴール美術館に赴く
お目当てはメリーゴーランド型のオルゴール 今年も一つ購入

美術館の庭
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今年のオルゴール
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オルゴールのコレクション
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寒さ厳しく

冬は山がきれいに見える季節
甲斐駒ケ岳と鳳凰三山
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1月に2度の雪

当地はこの冬寒さが厳しく2度雪が積もった
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竹のすごさ

雪の重みで竹の枝がたわむ しかし竹は折れない
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着雪注意報

スモモの枝にも雪が
重さで枝が折れることもある
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雪の朝

久しぶりの大雪
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甲府城からの富士

冬のこの時期にしては珍しく雲に隠れて見えない
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盆地特有の冬の風景 甲府城天守台より
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現存天守について

城について
 全国に残されている天守閣のある城を一般に
現存12城と呼んでいるが、現存天守のうち4が国宝、
残り8が重要文化財に指定されている。それ以外にも
櫓や門などが往時のまま残されていて貴重な文化財
として各地で見ることが出来る。

現存天守について①

 現存天守のうち姫路城と松本城そして松江城が5層、
備中松山城が2層、それ以外は3層である。また平城は松本城、
山城は備中松山城、残りは平山城に分類される。姫路城、松山城は
大天守と小天守、付櫓を渡廊下で結ぶ連立式、松本城は
大天守に小天守と付櫓がつく連結式、それ以外は単独天守になっている。
築城の時期を豊臣期と徳川期に分けると彦根城・犬山城・松本城は豊臣期。
姫路城は徳川期の様式をとどめている。豊臣期の城(関ヶ原以前)の
特徴は城壁の半分を下見板張りで施し、窓は突上戸が多く使われる。
徳川期には白漆喰総塗込めの壁と窓には引違戸が多用される。
また豊臣期の石垣にはおおむね野面積が多く、算木積も
長い石と短い石を交互に積み重ねるだけであるが、徳川期には
石垣は切石積で積まれ、算木積も1つの長い石の上に2つまたは
3つの短い石を重ねるという規則正しさが出てくる。

姫路城
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松江城
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備中松山城
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現存天守について②

 丸岡城は現存最古の城と言われ、古い掘立柱建築のため、
天守台石垣の面積いっぱいに1階を作ることが出来ず、
1階は石垣より少し小さめに建てられている。屋根瓦は
北国の冬に耐えられるように石瓦が葺かれている。
昭和23年福井地震の際被害を受けたがその後修復されている。
最近発見された資料によると1613年頃天守が完成したとある。

犬山城は尾張徳川家の家老成瀬家が代々城主を務め、
近年まで個人所有の城であった。現在見られる唐破風は
江戸期に増築されたものである。付櫓は明治24年の
濃尾震災の時倒壊したが復元され国宝に指定された。

丸岡城
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犬山城
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現存天守について③

 松本城は野面積石垣の上に5層大天守、乾小天守が立ち、
江戸期に辰巳付櫓と月見櫓が増築された。創建当時には
最上階に回廊が作られていたが、冬の寒さと降雪のため、
壁に作り直されている。そのため4層目より最上階のほうが
大きくなっている。

 彦根城の築城は徳川譜代の井伊氏によって関ヶ原の後始まったが、
付近のいくつかの城、たとえば佐和口多門櫓は佐和山城、
天秤櫓は長浜城大手門、西の丸三重櫓は小谷城天守、
そして天守は大津城から移築されたもので古い様式(豊臣期)の
特徴が残っている。天守は移築の際5層だったものを3層に
作り変えられたため独特な形をしている。

松本城
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彦根城
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彦根城 西の丸三重櫓
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現存天守について④

 弘前城天守は城の外側(東南)と内側(北西)では異なる姿をしている。
外側は小さな窓で、千鳥破風と石落としがあるが、内側の窓は大きく、
破風などの装飾もない。幕末に日本沿岸に外国船が来航するようになった時に
城の改修を幕府より命じられ、その時に隅櫓として建てられたのが現存する天守である。

 松山城は築城当時5層の大天守が作られたが江戸中期に火災で焼失、
その後1854年に3層で再建された天守で現存する天守の中で
最後に建てられた天守である。昭和8年放火により国宝の櫓などが焼失、
小天守も類焼したが大天守は免れた。戦後復元されている。

弘前城
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弘前城
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松山城
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戦災消失天守について

戦災焼失天守について
 昭和20年までは上記の12の城に加えてさらに8の天守が現存していた。
そのうち7城は戦災で焼失、松前城は昭和24年火災で焼失した。
大垣城は4層、名古屋城、岡山城、福山城、広島城は5層大天守である。
しかも平城で市街地にあったため、空襲の被害にあった時、城も焼失した。
同じ5層の平城である松本城が空襲を免れたことは奇跡と言える。
戦災焼失天守は水戸城以外、古写真に基づき復元されているが、
復元時に大垣城は屋根などに、岡山城は窓、そして広島城にも
多少の改変がみられる。和歌山城はほぼ忠実に再現されている。
水戸城は徳川御三家の城であるが天守は3層でしかも石垣の天守台はなく、
地面の直接建てられたため御三階櫓とも呼ばれていた。復元はされていない。
関東から東北にかけては石垣の文化はあまり浸透しておらず、土塁の城も多い

大垣城
画像 259

名古屋城
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和歌山城
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岡山城
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福山城
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明治破却天守について①

明治破却天守について
 明治6年の廃城令により多くの城が姿を消した。
その中で現在まで古写真が残されている城は10城ほどある。
 
 新発田城は何枚かの古写真をもとに木造で復元された。
天守というより隅櫓であり、屋根を上から見るとL字型
になっている。そのため3基の鯱瓦が屋根を飾っている。
大坂城に現存する乾櫓も同じ造りである。

 四国の大洲城も近年木造で古写真に基づき復元された。
また白河小峰城・白石城・掛川城なども絵図面などをもとに
木造で復元されている。

 会津若松城は、幕末、会津戦争の激戦で砲弾を受け、
その後取り壊され、昭和になって復元された。
そのほか高島城・岡崎城・小田原城なども古写真をもとに
復元されたが、高島城は窓をもとより多く作り、
岡崎城・小田原城は存在しなかった回廊が新たに作られている。

新発田城
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大坂城乾櫓
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大洲城
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掛川城
掛川



高島城
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小田原城
小田原

岡崎城
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明治破却天守について②

 熊本城は明治10年の西南戦争の時に焼失した。古写真を見ると
大天守・小天守ともに戸袋があるが復元された大天守には戸袋が
つけられていない。

 津山城・萩城・高松城の天守は古写真は残っているが復元されていない。
萩城は天守台石垣より1階の面積が大きく張り出し、武者返しになっている。
高松城は南蛮様式と呼ばれ天守最上階はその下の階より大きく張り出し、
その間に破風がない

熊本城
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高松城 古写真
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現存三重櫓

現存三重櫓について
 三重櫓は8の城に12基現存している。弘前城には同じような様式で作られた
隅櫓が3棟ある。江戸城富士見櫓は天守が1657年の明暦の大火(振袖火事)
で全焼後、天守の代用とされたもので、石垣の高さ15メートル、その上の櫓は
14メートルの高さを誇り、本丸にある。関東大震災で倒壊した後、再建された。
名古屋城の清州櫓は清州城天守を解体、移築したもので、清州城天守の時には
3階に回廊が作られていたという。福山城の伏見櫓は秀吉が建てた伏見城から
移築したもので、古い望楼型の櫓である。また熊本城の宇土櫓は第3の天守
ともいわれ、宇土城天守を移築したといわれている。

弘前城 隅櫓
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江戸城 富士見櫓
富士見

名古屋城 清州櫓
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福山城 伏見櫓
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熊本城 宇土櫓
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フリーエリア
プロフィール

noboseri24

Author:noboseri24
芹沢 昇(せりざわのぼる)

城めぐりブロガー

1962年12月17日生れ O型
博物館学芸員
社会福祉士 介護福祉士
介護支援専門員
調理師 
剣道初段 英検3級

成年後見制度 市民後見人

好きなチーム 巨人 ヴェルディ
         ヤンキース
好きな選手 松井 カズ 高橋由伸

日本城郭検定準1級

江戸文化歴史検定3級

日本100名城スタンプラリー
平成22年4月18日  開始
平成27年11月24日 制覇
平成27年12月2日  認定
       第895番目  

趣味 日本100名城スタンプラリー
城めぐり 古墳めぐり 蝶の観察
読書 司馬遼太郎 吉川英治 山岡荘八

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剣は心なり
  心正しからざる者
        剣また正しからず

 小学生のころより歴史に興味を持ちはじめ現在に至っています。また実家はブドウ栽培で有名な山梨県勝沼町で、周囲は自然に囲まれています。今まで撮影した画像の保存と集めた資料をまとめる目的でブログを始めました。城や前方後円墳などの歴史から自然のことブドウ栽培などの記事を思いつくまま更新しています。


山梨県指定史跡 甲斐府中城

甲府城・・・

 武田家滅亡後、甲斐の国は、信長が支配する。その信長も3か月後に本能寺で自害。そして徳川家康が治めることになる。小田原攻めの後豊臣秀吉が甲斐を支配。その頃に築城されたのが、甲府城である。その当時は金箔瓦が燦然と輝く5層の大天守がそびえていた。そして江戸期になり今度は幕府直轄地となり、天守は破却されたが、天守の代用として御三櫓階が造られている。その後交通の要衝を抑える要の城として将軍の弟が城主をめ、明治を迎える。


甲斐銚子塚古墳

 甲斐銚子塚古墳は日本で53番目の全長169メートル、東日本では3番目の大きさである。その形は前方後円墳と呼ばれる日本独特の形である。後円部に竪穴式石室が設けられていて、当時この地方を支配していた国から派遣された国司が葬られている。



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