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甲府徳川家

家光の3男が興した家
徳川 綱重、甲斐甲府藩主。江戸幕府3代将軍・徳川家光の三男。

1651年(慶安4年)、甲斐国府中藩15万石に封じられ、
甲府城を与えられ独立した大名となる。ただし、桜田門の
江戸の屋敷で生活していた。甲府宰相とも呼ばれる。

1678年(延宝6年)、兄の4代将軍家綱に先立って35歳の若さで死去した。

弟の綱吉が後に5代将軍となったが、子がなかったため、
綱重の長男・綱豊が綱吉の養子となり、家宣と改名して6
代将軍となった。

綱重自身が甲斐へ赴いたことはないが、
綱重期には在国の家臣団が主導し、
釜無川の治水における徳島堰の開削などが行われた。

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面白きこと

明治維新前夜の英雄 高杉晋作 その辞世の句
おもしろきこともなき世をおもしろく・・・

そのわずか26年の短き人生は波乱万丈であり
高杉にとっては面白かったのであろう

金箔瓦

甲斐が豊臣領になった1590年ごろ徳川家康を関東に
封じこめ、その領地をけん制するために秀吉は子飼いの
家臣を関東の周囲に配置した。
徳川を抑えるために築かれた豊臣方の城は以下のとおりであるが、
発掘調査の結果、下記の城からいずれも金箔瓦が出土しており、
豊臣方の重要な拠点の城であったことがうかがえる。

駿府城(中村一氏) 松本城(石川数正) 上田城(真田昌幸)
小諸城(仙石秀久)沼田城(真田昌幸) 会津若松城(蒲生氏郷)

甲府城について

甲府城の位置
 山梨県の中央部を占める甲府盆地。その盆地の北部の扇状地上に
ある一条小山という小丘上に位置している。愛宕山に連なる
一条小山には鎌倉時代に一条忠頼があり、忠頼の死後、その婦人により
一連寺が建立された場所である。武田氏滅亡後甲斐を支配した
徳川家康は一条小山が築城にふさわしいとし、縄張りを行い、
地鎮祭を行ったと「甲斐国志」にあるが詳細は不明である。
 その後甲斐は1590年に秀吉の支配地となり、浅野長政が
城主の時に完成を見る。折りしも時代は関が原直前であり、
対徳川最前線の要衝の地として総石垣作りの城郭になる。

甲府城謝恩碑

甲府城にある花崗岩のオベリスクを謝恩碑と呼ぶ。
謝恩碑について
 明治40年甲府盆地は大水害に襲われた。
発達した低気圧が秋雨前線を刺激したため、
山梨県に大雨が降ったことによる災害である。
当時の山林は戦争供出のため樹木のほとんどが
伐採されていたため土石流が各地の堤防を決壊して、
甲府盆地を水浸しにし、233名の死者を出した。
次いで明治43年にも同じような災害が起きた。
 明治44年明治政府より国有林を下賜され、
これを恩賜林として県土再生向けて森林の整備が始まった。
大正になりこの恩を忘れぬように謝恩碑が建てられたのである。

甲府城

甲府城には着見櫓と呼ばれる3層の櫓がかつてあった。

着見櫓について
 江戸期に入ると甲斐国は幕府の直轄支配となり、
将軍の弟が代々城主を務める。着見櫓は3層の櫓であり、
甲府城二の丸に作られたが、その時期は1660年代と
思われる。おりしも江戸城は明暦の大火(振袖火事)で
焼失した天守の代わりに御三階櫓(富士見櫓・現存)を
建てた直後である。その当時、甲府城主は三代将軍家光の
弟綱重で、1664年に大修理をしている。その時に
甲府城にも天守の代用として着見櫓を建てた可能性がある。
いずれにしても甲府城着見櫓は櫓としては最も古い物であり、
着見櫓が建てられた時には本丸の天守台にはすでに天守は
存在せず、天守の代用として作られた可能性がある。

甲府城

甲府城の天守について
 甲府城が建てられた文禄・慶長期に本丸の天守台の上に
3層以上の天守が建っていたことは近年の発掘調査や
その後の研究の成果によってほぼ確実である。しかしその形状は
全く分かっていない。さらに関ヶ原の後、甲斐を接収した徳川の
手によって天守が破却された可能性も指摘されている。
天守台は不等辺五角形であり、穴蔵を持つ古い様式である。
入口を入ると直角に右に曲がる。守りの固い構造になっている。
往時には金箔瓦が屋根を飾っていたであろう甲府城天守。
対徳川最前線の要衝を抑える要の城として築かれた城は、
徳川期になると将軍の弟が代々城主を務める幕府の城として
天守こそ建てられなかったもののその威容は幕末まで続くのである。

甲府城について

甲府城は内堀・ニノ堀・三の堀で構成され、
それぞれ内城部分、内郭部分、町人地を分けている。
内城部分には天守台や本丸、曲輪が存在し、
北側に山手門、南側には追手門、西側には柳門が
存在している。ニの堀の内側はは武家屋敷である。

甲府城について

甲府盆地北部、現在の甲府市中心街の一条小山に築城された平山城。
甲斐国では戦国期から甲府が政治的中心地となり、躑躅ヶ崎館
を中心とする武田城下町が造成されたが、武田氏滅亡後に甲斐を
領した徳川氏や豊臣系大名が甲斐を支配し、甲府城を築城して
新たに甲府城下町が整備された。豊臣政権では徳川家康を牽制する
要所、江戸時代では将軍家に最も近い親藩の城。
天守台はあるが天守が建てられていたかは不明。

甲府城の歴史

1582年(天正10年) 織田信長の命により、河尻秀隆が甲斐の国主。
1582年(天正10年) 信長死去、家康が甲斐を治める。平岩親吉が城代。
          このころ甲府築城開始したとする説もある。
1590年(天正18年) 徳川家康の関東移封。豊臣秀勝が国主となる。
1591年(天正19年) 国主となった加藤光泰が築城を開始する。
1593年(文禄2年) 浅野長政・幸長父子が城主となり、城が完成する。
1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利、翌年平岩親吉が城代。
          徳川義直(家康の九男)が城主となる。
1607年(慶長12年) 義直が清洲へ転封。城番制がしかれる。
1616年(元和2年) 徳川忠長(秀忠の二男、駿府城主)の支城となる   
1632年(寛永9年) 忠長死去。城番制がしかれる。
1661年(寛文元年) 徳川綱重(家光の三男)が城主となる。
1678年(延宝6年) 徳川綱豊(綱重嫡男)が城主となる。
1704年(宝永元年) 綱豊が将軍世嗣として江戸城に入る。
1705年(宝永2年) 柳沢吉保が城主となる。初めて親藩以外の領地となる。
1724年(享保9年) 柳沢吉里(吉保嫡男)が大和郡山へ転封。甲府勤番。
1727年(享保12年) 甲府城大火。
1734年(享保19年) 城内に盗賊が侵入、甲府城御金蔵事件が発生する。
1742年(寛保2年) 高畑村の百姓次郎兵衛が捕縛。
1866年(慶応2年) 勤番制を廃止し、城代を設置。
1868年(明治元年) 明治維新。板垣退助らが無血入城。
1873年(明治6年) 廃城。

彼岸花

毎年同じ時期の咲く花
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もう出てきた

ショウリョウバッタ 秋の昆虫
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まだがんばっている

アゲハ 夏の昆虫
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秋の気配

秋の気配も感じる ススキ
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稜線がクッキリ

秋の富士
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今年は例年より早く初雪を観測した

次の世代へ

ひまわりは種をつけて、次の世代へ引き継ぐ
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秋の空

朝晩はめっきり寒くなってきた
空も秋めいてきた
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夏の花

マリーゴールド
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夏の花

いつもでも暑い日が続いている まだ咲いているムクゲ
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夏と秋

今年は猛暑の影響でいつまでもあつい でも・・・
萩の花が咲き始めた
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秋の山

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稜線がくっきりと・・・

馬頭観音

馬はかつて農耕の道具に使われていた
その馬の供養碑が馬頭観音
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鉄門復元工事

甲府城鉄門の復元工事 2階の床張り工事はほぼ完成
続いて漆喰塀の上塗り工事も始まった
いよいよ完成に向けてラストスパート

最新情報

甲府城鉄門復元工事 2階の床工事に入った

日本城郭検定

11月の検定に向けてただいま勉強中
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夜の散歩

夜の甲府城、散歩にちょうどよい季節
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20日

早朝に天にのぼる20日の月
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甲府市郊外

甲府市から車で20分 山中にある湖 ここまで来ると涼しい
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季節は変わる

空の色が秋めいてきたこのごろ
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日本城郭検定

11月に日本城郭検定を受検する予定
日本城検定と日本城郭検定どこが違うの?

初級の挑戦

第1回日本城検定に挑戦 結果は11月ごろに・・・
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この季節の花

白いムクゲの花
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団体

かつて中央本線の花形特急とした活躍した車両 今は団体や
臨時列車として活躍
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新撰組

新撰組 永倉新八
晩年に北海道大学で剣道を教えた時のエピソード
剣道を習う大学生が永倉と稽古をしたが、その竹刀
にも触ることができなかった・・・

新撰組

新撰組近藤勇は板橋で処刑された
JR板橋駅東口にその墓がある
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市街地より

甲府市街地より見る初秋の富士
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富士

甲府城天守台より
夏の富士
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甲府城天守台

甲府城天守台の石垣 400年前の積まれたそのまま
現在にいたる。この台の上にどのような天守がのっていたかは不明
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石垣の修理終了

天守代北側の石垣の修理が終了
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甲府城鉄門

今年のうちにはその勇姿が現れる
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鉄門復元工事

鉄門(くろがねもん)復元中 ついに屋根の上に鯱瓦がのった
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甲府徳川家

甲府徳川家は2代で絶家 甲府藩の下屋敷は後に幕府の所有となり
現在の浜離宮になっている

浜離宮の石垣
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甲府宰相

甲府徳川家2代目 甲府宰相綱豊 後に6代将軍になり
「正徳の治」と呼ばれる善政を行う

浜離宮の石垣
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甲府宰相

徳川家光の次男 綱重 桜田門に屋敷があり「桜田殿」と呼ばれる
また甲府藩主であり、甲府宰相とも呼ばれた

浜離宮の石垣
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浜離宮

浜離宮の石垣 見事な切石積 角は算木積が見られる
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甲府徳川家

甲府徳川家は2代目綱豊が6代将軍になり、絶家となった

浜離宮 かつての甲府徳川家の屋敷であり、浜屋敷とも言われた

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浜離宮

浜離宮の石垣 暗渠が見える
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浜離宮

甲府徳川家の下屋敷で別名 浜屋敷とも呼ばれた
綱重の嫡男綱豊は後に6代将軍になり家宣と名乗る

浜離宮の石垣に残る暗渠
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甲府徳川藩 下屋敷

甲府徳川藩は家光の次男で4代将軍の弟 徳川綱重が甲斐の国を拝領
甲府徳川家を立藩して始まる。
綱重は江戸城桜田門の上屋敷にすみ、甲府に来ていないが、釜無川の
治水などを家臣に命じている

現在の浜離宮は甲府徳川藩の下屋敷であった

浜離宮の石垣
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夏の名残

行く夏を惜しんで
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フリーエリア
プロフィール

noboseri24

Author:noboseri24
芹沢 昇(せりざわのぼる)

城めぐりブロガー

1962年12月17日生れ O型
博物館学芸員
社会福祉士 介護福祉士
介護支援専門員
調理師 
剣道初段 英検3級

成年後見制度 市民後見人

好きなチーム 巨人 ヴェルディ
         ヤンキース
好きな選手 松井 カズ 高橋由伸

日本城郭検定準1級

江戸文化歴史検定3級

日本100名城スタンプラリー
平成22年4月18日  開始
平成27年11月24日 制覇
平成27年12月2日  認定
       第895番目  

趣味 日本100名城スタンプラリー
城めぐり 古墳めぐり 蝶の観察
読書 司馬遼太郎 吉川英治 山岡荘八

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剣は心なり
  心正しからざる者
        剣また正しからず

 小学生のころより歴史に興味を持ちはじめ現在に至っています。また実家はブドウ栽培で有名な山梨県勝沼町で、周囲は自然に囲まれています。今まで撮影した画像の保存と集めた資料をまとめる目的でブログを始めました。城や前方後円墳などの歴史から自然のことブドウ栽培などの記事を思いつくまま更新しています。


山梨県指定史跡 甲斐府中城

甲府城・・・

 武田家滅亡後、甲斐の国は、信長が支配する。その信長も3か月後に本能寺で自害。そして徳川家康が治めることになる。小田原攻めの後豊臣秀吉が甲斐を支配。その頃に築城されたのが、甲府城である。その当時は金箔瓦が燦然と輝く5層の大天守がそびえていた。そして江戸期になり今度は幕府直轄地となり、天守は破却されたが、天守の代用として御三櫓階が造られている。その後交通の要衝を抑える要の城として将軍の弟が城主をめ、明治を迎える。


甲斐銚子塚古墳

 甲斐銚子塚古墳は日本で53番目の全長169メートル、東日本では3番目の大きさである。その形は前方後円墳と呼ばれる日本独特の形である。後円部に竪穴式石室が設けられていて、当時この地方を支配していた国から派遣された国司が葬られている。



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