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近づく嵐

被害が出ないことを祈る
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汽車ぽっぽ

旧松代駅前の石碑
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旧松代駅

現状保存されている駅舎
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大正時代の駅舎のイメージ
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旧松代駅

大正時代の駅舎
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トラス構造
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高い石垣

整備された城跡
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旧松代駅

大正時代の建物 廃線になったが駅舎は保存されている
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鬼門の守り

艮櫓(うしとらやぐら) 北東を守るやぐら
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八幡原

川中島の主決戦場 信玄と謙信の一騎打ちがあったとされる場所
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甲府城

北の守り
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山手門
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川中島決戦場

古戦場跡に芭蕉の碑
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中秋の名月

今日は十五夜
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三口神

ミシャクジ サンコウジン 道祖神の別称
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太宰の碑

御坂峠にある碑
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富士には月見草がよく似合ふ
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御坂峠

御坂の峠 旧街道
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太宰治所縁の

御坂峠 天下茶屋
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北の入口

再現された山手御門
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駅北口

バスロータリーに再現された石垣
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小田原

明治まで現存した櫓 江戸時代より小さく再現
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穏やかに

堀に影を落として
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小田原城

復元された暗渠
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あらあらしい

石の割り方 築城当初の石垣
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小田原

小田原城の内堀
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迷路のように

城内の石垣
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小田原

近年、整備された小田原城
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秋の空

秋の空と城跡
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江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係⑦

まとめ
江戸城を含め江戸の面積半分を焼失した明暦の大火
「喧嘩と火事は江戸の華」ともいわれるほど多く発生した火災。
天和の大火で焼け出されたお七さんが丙午生まれであったことを
きっかけに、その283年後の昭和41年の新生児出生数が激減。
一時的に回復し、人口のピラミッドが壺型になった。
しかし日本の人口は平成以降、人口置換水準を下回る数値で
推移している。このままでは日本の人口はますます減少の
一歩をたどっていくことになる。

おわり

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係⑥

人口置換水準
 出生率が減少し人口減少が起こるとされる水準 2.07 
昭和38年から昭和49年まで2.00を下回ったのは昭和41年(1.58)だけである。
そして平成元年には丙午の数値1.58をも下回る1.57でこれを1.57ショックと呼ばれ、
少子化問題が深刻化した。

その後も徐々に数値は減少していき、平成17年には1.26にまで減少した。
失われた10年や就職難のあおりを受け、結婚や出産適齢期である層が経済的に
不安定だったことや、子育てに対する負担感が増大していることなどが挙げられている。
しかし平成27年は1.45まで回復した。

つづく

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係⑤

丙午
「丙午(ひのえうま)年の生まれの女性は気性が激しく夫の命を縮める」
という迷信がある。これは、江戸時代の初期の「丙午の年には火災が多い」
という迷信が、八百屋お七が丙午の生まれだとされたことから、女性の
結婚に関する迷信に変化して広まったとされる。

昭和41年
1966年(昭和41年)丙午 一番最近の丙午の年 ビートルズが来日し
日本中がその旋風に包まれた年
合計特殊出生率が1.58まで低下、新生児の数が激減している。

合計特殊出生率
一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の
平均を示す。平成17年には1.26にまで減少。その後やや回復し
平成24年から平成29年まで1.4代を保っている。

つづく

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係④

八百屋お七
 明暦の大火の真相は今となっては解明できないであろう。
文字道理すべて灰になってしまった・・・・

天和の大火
 1683年12月28日に発生した江戸の大火。駒込の大円寺から
出火とされ、28日正午ごろから翌朝5時ごろまで延焼し続けた。
死者は最大3500名余と推定される。 お七火事とも言われるが
八百屋お七はこの火事では被災者であり、のちに八百屋お七が
放火したとされる火事とは異なる。

八百屋お七火事
 この大火により焼け出された江戸本郷の八百屋の一家は、
檀那寺に避難した。避難先の生活の中で八百屋の娘・八百屋お七は、
寺の小姓と恋仲になる。やがて店が再建され、お七一家はその寺を
引き払ったが、お七の寺小姓への想いは募るばかり。そこでもう一度
火事が起きたらまた同じように寺にいけるかもしれない、と寺小姓に
会いたい一心で自宅に放火した。火はすぐに消し止められぼやに
とどまったが、お七は捕縛されて鈴ヶ森刑場で火炙りの刑に処せられた。
このことから、天和の火災はお七火事とも呼ばれるようになった。

つづく

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係③

明暦の大火 異聞①
 老中松平信綱による江戸の都市整備のための放火説。

江戸城本丸まで焼いて将軍家綱を危険な目に合わせてまで、
都市再開発のために放火するというのは、説得力ない。
当時の幕府権力を考えれば、強制的に立ち退かすことは出来たはず・・・

明暦の大火 異聞②
 本妙寺の隣にあった老中阿部忠秋邸からの失火説。

火事の火元には厳罰主義で臨んでいた幕府の老中が火元と
あっては、幕府権威の失墜と非難は避けられない。そこで、
火事と同時に阿部忠秋は、火元を隣の本妙寺に押しつけた
というものである。事実、火事後阿部家からは供養代として、
毎年本妙寺に寄付が行われている。しかし、阿部忠秋という人は、
自己保身のために罪を他に押しつけるような卑劣な人物ではない。
阿部忠秋邸が火元であり江戸市民の動揺を防ぎ、幕府の威信を
守るため、幕府が本妙寺に事情を説明して、火元の汚名をかぶってもらった・・・

つづく

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係②

振袖火事(明暦の大火)1657年
江戸の町の一人の少女(17歳)が、偶然見かけた美少年に一目惚れ。
寝ても覚めてもその美少年のことが忘れられず、彼が着ていた服と
同じ模様の振袖を作らせた。その振袖を抱いては、彼のことを思う
日々だったが、恋の病からか、はかなく死んでしまった。両親は憐れ
んで娘の棺にその振袖を着せてやった。
 当時こういう棺に掛けられた服などは、棺が持ち込まれた寺で働く
男たちがもらっていいことになっていて、この振袖は男たちによって
売られ、別の娘の物になった。ところがこの娘も、しばらくの後に亡くなり、
振袖はまた棺にかけられて寺に持ち込まれた。寺の男たちはまたそれを
売り、振袖はこれまた17歳の娘の手に渡った。
ところが、この娘もほどなく死んで振袖はまた棺に掛けられて寺に運び
込まれてきた。ここに至ってさすがに寺の男たちも気味悪がり、この振袖を
寺で供養することにした。この寺が本妙寺。住職が読経しながら火中に
振袖を投じると折しも強い風が吹き、振袖は火がついたまま空に舞い上がり、
本堂の屋根に落ちて屋根に燃え移り、消し止める間もなく次々と延焼、
翌日には、江戸城本丸天守まで類焼し、何と江戸市街の半分を焼失。
死者は10万人以上。通称振袖火事 明暦の大火

つづく

江戸3大大火と合計特殊出生率の因果関係①

日本史の教科書に必ず載っており、試験にも出たために覚えた3大○○ 
その代表的なものは

江戸3大改革
 享保の改革・寛政の改革・天保の改革

江戸3大大火
 明暦の大火・明和の大火・文化の大火

江戸3大飢饉
 享保の飢饉・天明の飢饉・天保の飢饉

であるが、この中で江戸3大大火の一つである明暦の大火と
現代の少子化に微妙な因果関係があった・・・
 
つづく

八王子駅

2005年12月25日から全ホームの発車メロディが八王子市内出身の
中村雨紅作詞の「夕焼小焼」となった。ホームごとにアレンジが異なる。
コンコースにはこの歌をイメージした壁画と歌碑が屋根の段差部分に
取り付けられている。
夕焼小焼は、1919年(大正8年)に発表された中村雨紅の詞に、
草川信が1923年(大正12年)に曲をつけた童謡である。

  夕やけこやけで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘がなる
  お手々つないで みなかえろ
  からすといっしょに かえりましょ

  子供がかえった あとからは
  まあるい大きな お月さま
  小鳥が夢を 見るころは
  空にはきらきら 金の星

雨がやんで

虹が出て
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秋らしい空

秋の空と城跡
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小田原

復元された門 高麗門の内側に高麗門
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きれいに整備

稲荷曲輪 かつて稲荷社があったことから、この名が付いている
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小田原といえば、インド象

本丸跡の象舎にいたウメ子 生前、一度だけ会えた
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階段

有事の際、武者が使用する階段 稲荷曲輪、東側
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小田原

数年目に改修された
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敵を上から

この位置から敵を狙い撃ち
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小田原城

明治まで天守が現存 戦後復元 観光協会からの強引な横やりで、本来なかった回廊が設置された
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秋の準備

猛暑から初秋へ
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小田原

小学校の修学旅行で初めて行った思い出の城
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桜の落ち葉

落ち葉が舞いだす 数寄屋曲輪
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赤門の脇

赤門の脇の塀 海鼠壁の重厚な壁
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2重の櫓

東南の隅櫓 数寄屋櫓跡 明治まで現存
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赤門

旧前田家の門
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辰巳の方角

東南方向に対する備え
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三四郎池

東大構内に残る旧前田家の庭園
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フリーエリア
プロフィール

noboseri24

Author:noboseri24
芹沢 昇(せりざわのぼる)

城めぐりブロガー

1962年12月17日生れ O型
博物館学芸員
社会福祉士 介護福祉士
介護支援専門員
調理師 
剣道初段 英検3級

成年後見制度 市民後見人

好きなチーム 巨人 ヴェルディ
         ヤンキース
好きな選手 松井 カズ 高橋由伸

日本城郭検定準1級

江戸文化歴史検定3級

日本100名城スタンプラリー
平成22年4月18日  開始
平成27年11月24日 制覇
平成27年12月2日  認定
       第895番目  

趣味 日本100名城スタンプラリー
城めぐり 古墳めぐり 蝶の観察
読書 司馬遼太郎 吉川英治 山岡荘八

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剣は心なり
  心正しからざる者
        剣また正しからず

 小学生のころより歴史に興味を持ちはじめ現在に至っています。また実家はブドウ栽培で有名な山梨県勝沼町で、周囲は自然に囲まれています。今まで撮影した画像の保存と集めた資料をまとめる目的でブログを始めました。城や前方後円墳などの歴史から自然のことブドウ栽培などの記事を思いつくまま更新しています。


山梨県指定史跡 甲斐府中城

甲府城・・・

 武田家滅亡後、甲斐の国は、信長が支配する。その信長も3か月後に本能寺で自害。そして徳川家康が治めることになる。小田原攻めの後豊臣秀吉が甲斐を支配。その頃に築城されたのが、甲府城である。その当時は金箔瓦が燦然と輝く5層の大天守がそびえていた。そして江戸期になり今度は幕府直轄地となり、天守は破却されたが、天守の代用として御三櫓階が造られている。その後交通の要衝を抑える要の城として将軍の弟が城主をめ、明治を迎える。


甲斐銚子塚古墳

 甲斐銚子塚古墳は日本で53番目の全長169メートル、東日本では3番目の大きさである。その形は前方後円墳と呼ばれる日本独特の形である。後円部に竪穴式石室が設けられていて、当時この地方を支配していた国から派遣された国司が葬られている。



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